夜明けのマゾヒスト、紅のフェティシスト。


難波功士 2009『創刊の社会史』ちくま新書、読了。


前作『族の系譜学』の続編…というよりは、あの中で書ききれなかったこと
(雑誌というメディアそのものの変遷)を1冊にまとめた本、という位置づけに
なるのだろうか。基本的には前作とセットで考えるべき本のように思う。
ただ、そうはいっても、新書という媒体の違いもあってか、こちらの本は
「書きたいことを好きに書いた」感が非常に強い。


面白い資料に対する著者ならではのツッコミも随所に散りばめられているのだが、
こういった、いまの感覚から考えるとトンデモといっていい資料を見つけたときに、
苦笑いしつつ「オイッ!!」とツッコんでしまう感覚は、個人的にはよく分かる。
こうした資料との出会いは雑誌研究の醍醐味だし、そういった意味では、雑誌を
通して歴史を見るということは、その雑誌が書かれて/読まれていた時代の空気と、
対話するということなんだと思う。




ただ、難しいのは、もしもこうした形で歴史を描くことが、自己と(雑誌から感じ取る
ことのできる時代の空気という)他者との対話であるのだとしたら、その対話自体を
いかに記述し、伝達するか、という問題だろう。


「創刊号フェチ」の性癖を、いかに(単なる個人的なフェティシズムにとどまらない)
意味のあるものとして記述するかという問題は、意外に根深い。これは前作を読んだ
ときにも感じたことではあるけれど、本作はより「書きたいことを好きに書いた」感が
強い分、この問題も大きくなるように感じられる。


もちろん、著者の記述のスタイルは「単に好きなことを書きなぐった」ものでは決して
ないことは強調しておくべきだと思う。膨大な資料群を縦横に結びつけつつ、その時代に
おいてそれぞれの雑誌が置かれていた位置価を描いていくさまは、もはや職人芸としか
いいようがない域に達している。
一応、これでも、自分も隣接領域にいる研究者見習いではあるんだけれど、この手つきを
見ただけで、自分などはもうとてもじゃないけど敵わないと思ってしまう…。




でも、前作と較べて決定的に異なるのは、タイトルにもあるように、本作が
「社会史」という立場を貫いている(ように見える)点なのではないだろうか。


本作は一貫して雑誌の外部を描かない。読者は読み進めるうち、まるで外部=社会から
切り離された一つの自律的な空間として、雑誌空間があるような錯覚に陥ってしまう。
冒頭で宣言しているように、筆者は雑誌を社会の反映として、あるいは社会を操作する
メディアとして見るのではなく、あくまで雑誌が(あたかもそれ自体が意志を持った
主体のごとく!)試行錯誤していく、その独特な空間を描き出すことを通して、
それぞれの雑誌に刻印された外部=社会を描き出していく。


社会を雑誌の説明変数にする(もちろんその逆も)ことを徹底的に拒否するその禁欲さも、
自分みたいな我慢することを知らない未熟な研究者見習いにとっては、感嘆を禁じえない
部分だったりする。するのだが、禁欲的であればあるほど、So What?という問いもまた、
逃れ難く迫ってくるのではないだろうか。




こんなこと言ったら専門家から怒られるかも知れないけれど、自分はコルバンの著作が
大好きな反面、記述のあまりの冗長さに、読んでて眠くなってしまうことがよくある。
「著者は、なぜこんなどうでもいいこと(失礼!)を、しつこく書き続けるのか」という
コンテクストを押さえておかないと、読み手にとってはひたすら退屈な歴史記述に
なりかねないというのが、自分が感じている(アナール的な)社会史に対する印象の
ひとつだったりする。


そして、歴史学に対するアンチとして社会史が立ち上がってきた経緯、あるいはその
社会史がカルチュラル・スタディーズにおいてそれこそ流用(?)されてきた流れを
振り返ったとき、いかにしてある種のアンチや抵抗ではない形で社会史を編むことが
出来るのか、という問題は、個人的(あくまでいまの自分にとって)ではあるけれど、
極めて重大な問題だったりする。




こうした社会史的記述は、分かる人には本当に面白い記述の方法だと思うし、
その意味で難波氏の本作も、少なくとも自分にとっては本当に面白い作品だと思う。
しかし、その面白さの水路づけを(意図的に)外したとき、その記述が他者にとっても
本当に面白いものになるかどうかは、自分には分からない。筆者の言葉を借りるなら、
「「創刊号フェチ」という性癖が、(…)少しでも読者の方々の共感を誘え」(p19)たのか
どうか、自分には分からない。


つまるところそれは、メディアの社会史としての「メディア史」を記述しようとしている
自分自身が直面している課題でもある訳だけれど…。



創刊の社会史 (ちくま新書)

創刊の社会史 (ちくま新書)